2008年06月15日
ディズニーランドという聖地
妻がロジャーズでパンを買ってきた。
これは…?

あれ?
「ディズニーランドという聖地」を読んだ。

1990年発行の本であるのにも係わらず、
古さを感じさせない。
読み終わると、本書の検証のために、
もう一度ディズニーランドに行ってみたい気持ちにさえなる。
ちょうど我家には、
1959年のディズニーランド開業まもない頃の
ディズニーランドのガイドブックがあったので、

それを手元に置いて、
入退場口を一つにし、
入場者全員に
「メインストリートUSA」を歩かせる工夫をした点を
掘り下げて考えてみたい。
ディズニーランドを訪れる者は、
入り口を抜け「魔法の王国」の4つの国に向かうために、
入り口正面にある鉄道に乗るか、
「メインストリートUSA」を歩いて
「セントラルプラザ」まで行き、
そこから目指す方向へ進むしかない。
つまり、
入園したすべての人がディズニーの少年期に足を踏み入れることになる。
実は、
「メインストリートUSA」は、
ディズニーが幼い頃に住んでいた
中西部ミズーリ州の小さなマーセリーンの大通りを
再現したものだという。
マーセリーンの街は
大陸横断鉄道の中継基地として栄えた街であり、
この地でディズニーは4歳から18歳までを過ごしている。
1959年当時のガイドブックには、
本書で述べられていたように、
この鉄道の名称が「サンタフェディズニーランド鉄道」とあり、
Main Street represents the typical small town in the early 1900’s
the heartline of America.
とある。
つまり、
この鉄道とメインストリートは、
ディズニーの思い入れの強い場所だと言えるのではないだろうか。
ガイドブックには汽車の運転席から、
にこやかな顔をして手を振るディズニー本人の写真が掲載されている。

56歳という年齢にふさわしくないようにも思える彼の笑顔は、
積年の思いがかなった達成感をよく表していることがわかる。
どんなに辛い目にあったとしても、
人は心の拠り所とする故郷が必要なのだ。
それをディズニーは、
自分自身の心のメインストリートとして、
そして、
鉄道の発展と共に栄えたアメリカの故郷の象徴として、
サンタフェディズニーランド鉄道を作ったのだろう。
メインストリートにある町並みの工夫の数々が施されている。
この本を読むまでまったく気づかなかった。
本物よりも本物らしく見せるというディズニーの使った技法も、
幼年期の影響が大きいのではないだろうか。
ディズニーの過ごしたマーセリーンの町は、
アメリカ中西部の気候帯に属し、
冬は寒く夏は暑く、
土埃の多い土地柄だ。
デコボコ道で牛乳もバターになったという。
偏屈な父親に愛想を尽かし、家を出て行った二人の兄の存在。
そんな環境の中でも、
ディズニーは家族を捨て切れなかった。
ディズニーは家族愛に飢えていたのではないだろうか。
それにも係わらず、
ディズニーの作った4つの国、
「ファンタジーランド」、
「トモローランド」、
「フロンティアランド」、
「アドベンチャーランド」
の中に
「ファミリーランド」
と呼べる国がない。
そう考えると、
メインストリートこそ
ファミリーというテーマが隠されているようにも感じられる。
事実、
メインストリートの土産物屋の二階の出窓に父親の名前
「イライアスディズニー建築請負業1895年創業」
と書かれているという。
初めて来たのに以前来たことのあるように感じられる場所。
何があっても、いつでもほっとさせてくれる場所。
その象徴としてのメインストリートが、
本物より本物っぽく思える場所となるように作られるのは
必然的なことのように思われる。
夢の国で一日過ごした客達は、
ファンタージーランドで夢見た客も、
トモローランドで明日を見た客も、
アドベンチャーランドで未開の地を探検してきた客も、
また帰りには、
心の故郷、アメリカの原点の風景の中に舞い戻り、
現実の世界に帰っていく。
「メインストリートUSA」
the heartline of America
まさにこの言葉がピッタリだ。
心の故郷の町に帰りたくなった。
これは…?

あれ?
「ディズニーランドという聖地」を読んだ。

1990年発行の本であるのにも係わらず、
古さを感じさせない。
読み終わると、本書の検証のために、
もう一度ディズニーランドに行ってみたい気持ちにさえなる。
ちょうど我家には、
1959年のディズニーランド開業まもない頃の
ディズニーランドのガイドブックがあったので、

それを手元に置いて、
入退場口を一つにし、
入場者全員に
「メインストリートUSA」を歩かせる工夫をした点を
掘り下げて考えてみたい。
ディズニーランドを訪れる者は、
入り口を抜け「魔法の王国」の4つの国に向かうために、
入り口正面にある鉄道に乗るか、
「メインストリートUSA」を歩いて
「セントラルプラザ」まで行き、
そこから目指す方向へ進むしかない。
つまり、
入園したすべての人がディズニーの少年期に足を踏み入れることになる。
実は、
「メインストリートUSA」は、
ディズニーが幼い頃に住んでいた
中西部ミズーリ州の小さなマーセリーンの大通りを
再現したものだという。
マーセリーンの街は
大陸横断鉄道の中継基地として栄えた街であり、
この地でディズニーは4歳から18歳までを過ごしている。
1959年当時のガイドブックには、
本書で述べられていたように、
この鉄道の名称が「サンタフェディズニーランド鉄道」とあり、
Main Street represents the typical small town in the early 1900’s
the heartline of America.
とある。
つまり、
この鉄道とメインストリートは、
ディズニーの思い入れの強い場所だと言えるのではないだろうか。
ガイドブックには汽車の運転席から、
にこやかな顔をして手を振るディズニー本人の写真が掲載されている。

56歳という年齢にふさわしくないようにも思える彼の笑顔は、
積年の思いがかなった達成感をよく表していることがわかる。
どんなに辛い目にあったとしても、
人は心の拠り所とする故郷が必要なのだ。
それをディズニーは、
自分自身の心のメインストリートとして、
そして、
鉄道の発展と共に栄えたアメリカの故郷の象徴として、
サンタフェディズニーランド鉄道を作ったのだろう。
メインストリートにある町並みの工夫の数々が施されている。
この本を読むまでまったく気づかなかった。
本物よりも本物らしく見せるというディズニーの使った技法も、
幼年期の影響が大きいのではないだろうか。
ディズニーの過ごしたマーセリーンの町は、
アメリカ中西部の気候帯に属し、
冬は寒く夏は暑く、
土埃の多い土地柄だ。
デコボコ道で牛乳もバターになったという。
偏屈な父親に愛想を尽かし、家を出て行った二人の兄の存在。
そんな環境の中でも、
ディズニーは家族を捨て切れなかった。
ディズニーは家族愛に飢えていたのではないだろうか。
それにも係わらず、
ディズニーの作った4つの国、
「ファンタジーランド」、
「トモローランド」、
「フロンティアランド」、
「アドベンチャーランド」
の中に
「ファミリーランド」
と呼べる国がない。
そう考えると、
メインストリートこそ
ファミリーというテーマが隠されているようにも感じられる。
事実、
メインストリートの土産物屋の二階の出窓に父親の名前
「イライアスディズニー建築請負業1895年創業」
と書かれているという。
初めて来たのに以前来たことのあるように感じられる場所。
何があっても、いつでもほっとさせてくれる場所。
その象徴としてのメインストリートが、
本物より本物っぽく思える場所となるように作られるのは
必然的なことのように思われる。
夢の国で一日過ごした客達は、
ファンタージーランドで夢見た客も、
トモローランドで明日を見た客も、
アドベンチャーランドで未開の地を探検してきた客も、
また帰りには、
心の故郷、アメリカの原点の風景の中に舞い戻り、
現実の世界に帰っていく。
「メインストリートUSA」
the heartline of America
まさにこの言葉がピッタリだ。
心の故郷の町に帰りたくなった。
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